Линия Сталина1941г [ ご注意 ] それっぽい雰囲気を醸し出すような文体で書いておりますが、特定の政治や思想の意図は全くありません。 尚 ページ内の写真や文章について、友人等の被写体が有る為に、無断転用を固くお断り致します。 Политические идеи несвязаны. / 本ページはベラルーシ共和国レーニヤ・スターリナ博物館にて、2011年6月26日に行われた対独戦勝記念イベント として歴史再現を纏めたものです。時代設定は前回と同じく1941年のミンスク防衛戦闘です。 今回は、独ソ開戦70週年記念との事で参加者も300人を超える大規模なものでした。 参加車両は、赤軍BT7快速戦車1両と装甲車1台で、独逸軍は型式不明戦車(ソビエト戦車の改造)2両と3号G型1両、装甲車2両 航空機が1機飛来しました。 赤軍集結地にて各部隊整列ののち順次行進して現場へ向かいました。 私が所属する部隊は、指揮官コトフ中尉で大変楽しい人柄も温かい方です。 部隊は、右翼塹壕線から砲兵陣地跡までを守備範囲として配置に付きました。 |
子どたちを運ぶ幸せの鳥コウノトリ達は、春の訪れと共に ベラルーシの各地で巣を作ります。 レストランの煙突で、民家の屋根の上で、あるいは電柱で もし、コウノトリが家の煙突で巣作りをしたときは、その家では 鳥が巣立つまでの間、煙突を使わないそうです。 延々と続く麦畑と、電信柱にコウノトリが巣作りをするのが 当たり前の国。 そんなベラルーシが、私は大好きです。 |
|
小さな林の中に、ひっそりとコンクリートのトーチカがありました。 雑草が過去の英雄達を優しく包み、初夏の草花が咲き乱れています。 何故、こんな静かな国に? そう、いまから70年前この国には大きな悲劇が有ったのです。 |
スターリン要塞 要塞設置後の国境線の変化や、それに伴う混乱 そして要塞戦闘に慣れた侵攻軍との戦闘の為 ヨーロッパの要塞ほどには知名度は高くない。 しかし、そこで戦った兵士達の勇気は何処にも 何時でも人々の胸に残る。 そして数十年の時を経て、今よみがえる。 |
全ては混乱していた。 何が正しくて、何が間違いなのだろう? 国境の町ブレストは激戦の果て部隊は全滅したらしい。 ミンスクにも敵は迫っているそうだ、、 、、これは間違いないだろう。 ここは、あらゆる意味で重要な町だからだ 我々は、"その時"に備えて訓練に励んだ。 |
|
応援部隊は、ぞくぞくと到着する。 戦車も大砲も、我々歩兵を直接支援する重機関銃も 集まってきた。 これだけの大部隊ならば、きっと敵とも互角以上に 戦えるはずだ。!! 戦友達は、勇気百倍である。 |
|
| ノモンハン Халхин-Голе1939年 に活躍した、BT7型戦車 |
|
赤軍の野営地 私は、ヘタレなのでベットの宿舎に泊まりました。 |
|
赤軍美人 (^-^) |
|
こうして静かな日がすぎて行った。 |
突然の襲撃
![]() |
翌日も、いつものように訓練に励んでいる時であった。 上空に見慣れない飛行機が飛来する・・・。 コトフ中尉は、「味方だ、安心しろ」と言うが・・・・。 突然味方陣地の方で爆炎が上がる。 対空機関砲が反撃をするが飛行場方面がやられたらしく 黒煙が上がっている。。 |
飛行場方面は、最初の一撃で壊滅状態となって一部が必至の抵抗を続けました。 飛行場に駐機していた友軍機がなす術もなく爆砕されてゆく・・・・。 勇敢な兵士が一人刺し違えんと飛来する敵機に対空機関銃の弾幕を浴びせる。 |
![]() |
激戦の果て
時間の経過と共に、敵は数を増してきた。 友軍は必死に反撃を行うが、敵は強力な戦車を前に前進してくる。 |
|
私達の部隊も、爆炎の中で必死の戦いをしていた→ 中央部の戦いでは、最後の反撃が行われようとしていた。↓ ![]() |
![]() |
![]() |
敵は、ついに中核陣地を蹂躙するに至り。 ← 野戦病院では悲劇が起こっていた。 ![]() |
私もついに討ち取られて倒れ伏しました。→ |
![]() |
はい、今回も怪我しました。 これで2回目です。 今回は、戦死して寝転がっている所へ友軍の ロケット信号弾が飛んで来て直撃しました。 軍服の裾が燃え上って、転げまわって火を消しましたが 手に軽いやけどと、軍服に大穴があきました。 来年は、胸に赤い線を二本付けなさいと言われました。(^^; 尚 右側にいる赤軍将校が我らが指揮官コトフ中尉です。 |
![]() |
そんな訳で、敢闘賞を頂きました。 とても、幸せなひと時です。(^−^) |
|
今回の通訳サポート陣です。 ビタリー君とガリーナさん |
![]() |
| 2012年度の予定 5月5日〜6日 ノモンハン事変 Халхин-Голе 参加募集中 締切 2月中旬です。 募集要項などの詳細はこちら。(随時更新) ミクシイ 「ノモンハン紛争準備委員会」 http://mixi.jp/view_community.pl?id=5801015 または、ロシアンティ内 岩橋まで。 日本軍装備者6名以上で実施となります。 アエロフロート・ロシア航空利用でモスクワ経由の場合は、5月3日発の5月8日帰りで 連休が暦通りの場合は、5月7日と8日の2日間は有給休暇取得の必要があります。 6月22日前後の土日 1941年 ミンスク防衛の戦い 詳細は、2月頃に判明します 7月上旬の土日 ミンスク奪回の戦い 詳細は、4月頃に判明します。 日本国内の活動でソビエト赤軍にご興味の方はこちらへ 国際大隊Интернациональные батальон 労農赤軍 PKKA(mixi) http://mixi.jp/view_community.pl?id=5433722 |