Линия Сталина1941г [ ご注意 ] それっぽい雰囲気を醸し出すような文体で書いておりますが、特定の政治や思想の意図は全くありません。 尚 ページ内の写真や文章について、友人等の被写体が有る為に、無断転用を固くお断り致します。 Политические идеи несвязаны. / 本ページはベラルーシ共和国レーニヤ・スターリナ博物館にて、2010年6月19日より翌20日まで行われた対独戦勝記念イベント として歴史再現を纏めたものです。時代設定は1941年のミンスク防衛戦闘が想定されました。 よって、装備は1941年当時とされ、参加に必要なM35型ギムナスチョルカは前もって特別注文を致しました。 武装は、モシン・ナガント銃が身分証明書と交換で貸与され使用弾薬として空砲弾をリハーサル初日は4発、本番当日は9発が 支給されました。また、ベテラン者でマッチを持っている者には手榴弾が渡されました。 その他に、攻撃軍側では戦車と装甲車、本番当日には戦闘機2機、複葉機1機、輸送機1機によ落下傘降下(表現だけで人は無し) が行われ、ソビエト軍側では直接見る事は有りませんでしたが対戦車砲も設置されていたようです。 本番当日は、ベラルーシ軍の協力により入念の安全確保の上で爆薬が設置され、攻撃軍の砲撃を想定した点火による実戦さながら の状況でした。 Новое появление истории было выполнено в Белоруссии 19 июня и 20-ый. 状況開始までの流れは。 上級指揮官による配属先の決定、担当指揮官による状況説明と展開指示 弾薬の支給、銃の基本操作の確認、ベラルーシ軍による爆薬設置位置の説明と安全管理指示 会場までの行進とエキストラ(当時の村人達)との交流 状況開始、、今回は1941年の状況でソビエト軍側が全滅との想定ですので、配置先または撤退先で其々戦死を遂げるシナリオ でした。 状況終了の演奏によって、飛び起きて整列後に観客席に礼をして引き揚げました。 今回は、初参加の為に弾薬について少量となりましたが、小隊指揮官の配慮により古参兵3名をサポートに付けて頂きました。 また、状況中は不慣れな装填操作により薬室で装填不良を起こした際はすぐに駆け付けてくれて機能回復を手伝って頂きました。 バラ弾の装填方法から、銃の手入れや射撃時の注意、行進等の挙動や装備品の装着に手入れ等、日本で本を読んだ程度では 分からない部分は相当に有り、これら一つ一つを丁寧に教えてくれ心温まる思いです。 何より、「何だミンスクのホテルまで帰るのか?俺達のテントに泊って行けよ」、「また、必ず来いよ!」等は、言葉や国境を越えた 同じ趣味の者としての一体感を感じました。 同国はもとよりロシア・ドイツからの参加も有ったようですが日本からの参加は残念ながら私だけとなりました。 (何人か誘ったのですが・・。) なお 侵攻軍側は全く容赦はなく初日は白兵戦闘にもつれ込んだおり力及ばず銃尻で逆襲にあい額を深く切って顔面が血に 染まりました。 日本での「痛かったですか?ごめんなさい」等のマナーは一切なく、普通に怪我は男の勲章としての扱いは、私的には心地よく 美人衛生兵の治療と相まって良いお土産になりました。(社長はえらく心配していたが・・・(^^; ) 私は不参加でしたが、夜間戦闘ではもっと多くの負傷者が出たようで、アスファルトに多量の血痕と、双方に包帯巻いた人が チラホラ (^^; 私は、ずっとほとんど単独で日本国内のイベントには、ほとんど参加することなく過ごしていましたが、流石にこれを経験した後は、 じっとしておられず、同好の志と思いを共有致したくページを作成致しました。 最後に、まだロシア語が不自由な為にロシア語又はベラルーシ語で書くことは叶いませんし、このページが同国の検索に引っ掛かり 読まれる事は、多分ないでしょうが・・・・・・。 私は、貴国の歴史再現に参加し、貴国の苦しくも勇敢に戦った精神に触れる機会に恵まれた事を光栄に思います。 そして、貴国にとって大切な式典行事であるこのイベントの参加を許可された事を光栄に思います。 私は、生涯においてこの思い出を大切にし、私が貴国の方々と平等対等に扱って頂いた事を忘れないでしょう。 もちろん私の祖国は日本であり、愛するは我が祖国に他なりませんが、彼我双方が助け合い尊敬できる心の交流が同じ趣味を もつ者として言葉や国境の壁を越えられるのだと痛感いたしました。 私は、貴国を尊敬します。 (日本語の読める方へ) |
2010年 ベラルーシ共和国、ブレスト市に静かにそびえる城門 ブレスト要塞(ブレスト・クレパス) 69年の歳月が過ぎても、なお英雄たちの足音が響く. 更なる年月が過ぎて、過去の諍いが時間と平和によって 洗い流されても、彼らが戦った歴史と勇気は、そこに人が 住む限り忘れ去られ事はないだろう。 彼らは、間違い無く自らの決意で祖国の為に戦った。 |
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崩れ落ちた、病院跡には今も弾痕の跡が残る。 隣国との国境に位置するそれは、年月の風化 に耐えて、当時のままに残されていた。 年月は建物を風化させる。 瓦礫は撤去され、近代的な建物にとって変わり 要塞の一部は、市場として利用される。 残された人々には、生活を取り戻し生産を 開始する義務が有るのだ。 だが、ここでは広大な敷地が保存整備され 立て籠った地下に銃剣で刻まれた 「我死に行く、誇り忘れずに!」のレンガは、 時代を経て人々に発見され。 大切に保存される。 |
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スターリン要塞 要塞設置後の国境線の変化や、それに伴う混乱 そして要塞戦闘に慣れた侵攻軍との戦闘の為 ヨーロッパの要塞ほどには知名度は高くない。 しかし、そこで戦った兵士達の勇気は何処にも 何時でも人々の胸に残る。 そして数十年の時を経て、今よみがえる。 |

☆私達の小隊☆
つかの間の平和
Короткое мирное время
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何の前触れもなく、突如ファシストが侵攻して来た との情報で部隊は、ミンスクから6キロ程の要塞線 の一角に集結したが、前線はまだ遥か先であり 私の所属する第一小隊は、のんびりと配置に付いた。 Взвод кому любое предыдущее объявление не может быть найдено и единица был сконцентрирован на относительно линии форта с 6 км из Минска для информации, однако которая фашист вторгся внезапно , фронт - это все еще длинное расстояние и я принадлежу был неторопливым приданный к договоренности. (日本語ガイドさん・・萌え・・・) |
私達は、極東からの連絡出張だったのだが そのまま所在部隊に 編入され配置に付くこととなった。 Хотя мы были командировками связи с Дальнего Востока, мы присоединились к местной единице как есть. |
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村人が歓迎の野外コンサートを開いてくれた。 Сельский житель пригласил нас. |
その後、部隊の人も加わって、みんなで輪になって踊った ・・・えっ?私は何処に居たかって? 俺が盆踊り以外踊れる訳がないだろう!! 指咥えて見てたワイ (T-T) Затем, человек единицы также присоединился, и все вместе, это стало кольцом и танцевало. Я не могу танцевать помимо Танца с японским стилем! Это смотрело спокойно. (T-T). |
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奴らは 来た!
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平和なひとときは終わった。 大隊本部からの連絡によると、前線が突破され 敵はすぐ側まで迫って来ているらしい。 第二小隊は、前進塹壕へ 私の居る第一小隊は、中隊指揮所へと 別れて行った。 |
野戦テントで休んでいると、上空で爆音がとどろいた。 「敵襲!!」 と歩哨が引きつった声で叫ぶ 我々は、其々のモシンナガント銃をつかんで塹壕へ駆け込んだ 嗚呼、何という事だ!! 奴らは落下傘で来た! 空に白いパラシュートが揺れているではないか。 持ち場に付いた頃には、それは地面で揺れていた。 |
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何もかも、奴らの思い通りなのか? このまま皆死ぬのか?? |
鉄の暴風雨
前進塹壕が砲火の洗礼を浴びて 第二小隊が引き揚げてくる。 指揮官のグリーシャが最後の訓示をする。 「てめぇら、逃げるんじゃねぇぞ!!」 |
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砲撃の後に前進してくる、敵に対して必死の 反撃が行われる 前進壕から、この陣地の間は死屍累々であ る。 |
砲撃を受けて、すぐ傍の中隊指揮所が吹き飛んだ。 被害甚大である。 小隊指揮官のグリーシャが駆け込むが、我々は それ所ではない目の前に、敵戦車が迫ってくる。 |
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頼りの軽機関銃手がやられた。 部下が弾切れで銃を放り出して浮足立つ その隣は、、もう戦死している。 私も、弾はあと一発だけである。 「終わりか・・・・・。」 てっ、、てんの・・・、、間違えた・・・。 「 !!! うらぁ〜〜〜〜 !!! 」 |
この後に、本当に敵軍に突入して白兵戦闘までやって 頭から血を流す・・・。 でも、、なんだか、とても嬉しそう。。 |
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こちらの、社長さんです(二人とも)、 その他に写真撮影など御世話をして 下さった、マネージャーのエレーナさん 史跡指導ガイドのセルゲイさん、 第一小隊指揮官のグレゴリーさん 戦闘補助のアンドレイ君、日本語通訳の イリーナさん その他、小隊員のみなさん、ドイツ軍役 の皆さん本当に、楽しいひと時でした、 心からありがとうございます。 また、次回もよろしくお願い致します。 ダスビダーニャ!!! 社長様 「次は、怪我するまで本当に 戦わないでね!」 ・・あっ、はい (^^;,,, |
オマケ 要塞警備のお巡りさん。 トーチカ内部を見学中に、物珍しさからトーチカ内部まで ついて来たので、日の丸鉢巻をあげた。 恥ずかしそうだが、、、なんか嬉しそう。 普通とは、かなり違う交流ですが、、みんな楽しそうでした。 |
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| おっ 俺も行きてぇぇぇぇ という方がいらっしゃいましたら、、、、 今年の予定は、6月 25/26日 1941年 ミンスク防衛戦 7月 2/3日 ミンスク解放戦です。 日本国内の活動でソビエト赤軍にご興味の方はこちらへ 国際大隊Интернациональные батальон 労農赤軍 PKKA(mixi) http://mixi.jp/view_community.pl?id=5433722 |