ウラジーミル・レーニン
Владимир Ленин(1870–1924)



ウラジーミル・レーニンは1870年にロシア帝国で生まれた。若い頃に兄が皇帝暗殺計画への関与を理由に処刑されたことは、彼の人生観に大きな影響を与えたとされる。その後、彼はカール・マルクスの思想に傾倒し、革命運動に身を投じたが、亡命や逮捕を経験するなど、長い間表舞台から遠ざけられていた。

しかし1917年、歴史が大きく動く。第一次世界大戦によって疲弊したロシアでは皇帝政権が崩壊し、国内は混乱に包まれていた。亡命先から帰国したレーニンは、この混乱を革命の好機と見抜く。「平和、土地、パン」を掲げて人々の支持を集めると、彼が率いるボルシェビキは急速に勢力を拡大した。

同年10月、レーニンは大胆な決断を下す。武装した革命勢力を動員し、首都ペトログラードの重要施設を次々と掌握。ほとんど流血のないまま臨時政府を倒し、歴史に名を残すOctober Revolution(偉大な十月社会主義革命)を成功させた。この瞬間、何世紀も続いたロシアの旧体制は終わりを告げ、新しい時代が始まった。

革命後の道のりは決して平坦ではなかった。国内では激しい内戦が勃発し、外国勢力も介入する。レーニンは政府のトップとして、崩壊寸前の国家を維持するために厳しい決断を重ねた。反革命勢力との戦いを指揮しながら経済再建にも取り組み、最終的には革命政権を生き残らせることに成功する。そして1922年、複数の共和国を統合してソビエト連邦を成立させた。世界初の本格的な社会主義国家の誕生であり、その影響はロシア国内にとどまらず、世界中の政治運動へと広がっていった。

だが、革命を成し遂げた指導者の体は次第に限界を迎えていた。1922年頃から脳卒中に苦しみ、政治の第一線から退かざるを得なくなる。そして1924年、53歳でその生涯を閉じた。短い人生だったが、帝政ロシアを打倒し、新たな国家を築き上げたレーニンの足跡は、20世紀の世界史そのものを大きく変えることになった。



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二月革命

 1917年のロシアは、第一次世界大戦による戦費の増大や食糧不足、物価高騰に苦しんでいました。首都ペトログラード(現在のSaint Petersburg)では労働者のストライキや市民のデモが相次ぎ、軍隊の一部も政府に従わなくなります。

 こうした混乱の中で、ロシア皇帝のNicholas IIは退位に追い込まれ、300年以上続いたロマノフ朝は崩壊しました。これが二月革命です。

 革命後には自由主義者や穏健派を中心とする「臨時政府」が成立しましたが、戦争継続を決めたため国民の不満は解消されませんでした。一方で、労働者や兵士による評議会(ソビエト)も大きな力を持つようになり、ロシアでは「臨時政府」と「ソビエト」が並立する不安定な状況が生まれました。



十月革命

 その混乱の中で帰国したのがレーニンです。彼は「平和・土地・パン」を掲げ、戦争の即時終結と農民への土地分配を訴えました。この主張は疲弊した国民の支持を集め、レーニン率いるBolsheviksは急速に勢力を拡大します。

 1917年11月(当時ロシアで使われていた暦では10月)、ボリシェヴィキは武装蜂起を決行しました。革命勢力はペトログラードの駅や通信施設、政府機関を次々と占拠し、最後には臨時政府が立てこもるWinter Palaceを制圧します。

 こうして臨時政府は倒され、レーニンを指導者とするボリシェヴィキ政権が誕生しました。これが十月革命です。









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