18世紀のロシア帝国。ピョートル大帝の改革によってヨーロッパの列強へと成長しつつあったこの国に、一人の外国生まれの女性が現れる。後に「大帝」と称えられることになるエカチェリーナ2世である。
彼女はもともとロシア人ではなく、現在のドイツ地方の小さな貴族の娘として生まれた。ロシア皇位継承者との結婚のために遠い異国へ渡り、言葉や宗教、習慣の違いに苦しみながらも懸命にロシア社会へ溶け込んでいく。やがてロシア語を学び、国民や貴族たちの支持を集めるようになった。
しかし宮廷では不満が渦巻いていた。夫である皇帝ピョートル3世は人気が低く、政治も混乱していた。1762年、エカチェリーナは近衛軍や有力貴族の支持を得てクーデターを決行する。皇帝は退位に追い込まれ、彼女はロシア皇帝として即位した。外国から嫁いできた一人の女性が、巨大帝国の頂点へ駆け上がった瞬間だった。
即位後のエカチェリーナは、単に権力を守るだけでは満足しなかった。彼女はヨーロッパの啓蒙思想に強い関心を持ち、学問や芸術を保護し、国家改革を進めようとした。宮廷には知識人が集まり、ロシアは文化的にも大きく発展していく。
だが、彼女の真価が最も発揮されたのは外交と領土拡大だった。エカチェリーナは南方への進出を目指し、長年対立していたオスマン帝国との戦いに挑む。ロシア軍は次々と勝利を収め、ついに黒海沿岸への進出に成功した。これによってロシアは温暖な海への出口を獲得し、ヨーロッパとアジアにまたがる大国としての地位をさらに強固なものにした。
さらに彼女は、弱体化していたポーランド・リストニア共和国の分割にも参加する。周辺諸国との巧みな外交を駆使しながら領土を拡大し続けた結果、ロシア帝国はかつてない規模へと成長した。地図上でロシアの色が広がるたびに、ヨーロッパ諸国はその存在を無視できなくなっていった。
晩年には国内の反乱や社会問題にも直面したが、彼女は最後まで帝国の運営を続けた。1796年に死去する頃には、ロシアは軍事力・外交力・領土の広さにおいてヨーロッパ屈指の大国となっていた。
エカチェリーナ2世は、異国から嫁いできた一人の女性としてロシアへやって来た。しかし、その生涯の終わりには巨大帝国を支配する女帝となり、ロシアの領土と国際的影響力を飛躍的に拡大した。彼女はピョートル大帝が近代化したロシアを受け継ぎ、それを真の「ヨーロッパ列強」へと押し上げた統治者として、今もロシア史上最高の君主の一人に数えられている。